沖縄料理

沖縄料理, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=151763 / CC BY SA 3.0

#日本の郷土料理
#沖縄県の食文化
#ご当地グルメ
#地域別の料理
沖縄そば(左)、ゴーヤーチャンプルー(右)とオリオンビール(右上)は、いずれも沖縄の食卓で定番 沖縄料理(おきなわ りょうり)は、沖縄県の郷土料理のこと。
琉球料理(りゅうきゅう りょうり)とも呼ばれるが、この場合は琉球王朝時代の宮廷料理を指すことが多い。
「琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な『琉球料理』」は、2019年に日本遺産として認定された。
沖縄県は日本本土と異なり平均気温が高く、四季が比較的不明瞭な気候であるため亜熱帯性の食材が多く見られる反面、冷涼な気候に適した食材は栽培・入手がしにくい土地柄である。
使用される野菜類が本土とは異なり、消費量日本一の干し椎茸を除けばキノコ類の使用も少ない。
また、亜熱帯に属するが香辛料はあまり使用されず、伝統的な味付けは塩、味噌、鰹節、昆布を多用する、日本料理の範疇に収まるものである。
しかし、豚の出汁をよく利用する点で本土とは大きな違いがある。
また、海に囲まれた多島の県であるが、手の込んだ魚料理はあまり発達していない。
沖縄は、明治時代になるまで日本本土の朝廷や武家政権の直接統治下になかった地域である。
1609年に薩摩が琉球侵攻を行い服属させたが、清との朝貢貿易を続けさせられた。
また、日本本土では律令時代から江戸時代に至るまで米に基く税収(租や年貢)を安定的に確保する関係上、獣肉食を禁止・制限する命令が何度も出されたことにより、米が貨幣にもなる神聖な作物として位置付けられる一方、肉食は稲作農耕に害をもたらす穢れとされ、長らく禁忌とされてきた。
しかし、沖縄は米を税の中心として位置付ける日本本土の政権の統治下になく、肉食が穢れと見なされなかったために、ブタ、ヤギなどの家畜を肥育して食用とすることに抵抗のない食文化が存在していた。
琉球王朝時代には外交上の必要性から薩摩藩や交易範囲の中国(明、清)・東南アジアなどの影響を受けた。
特に中国からは医食同源の思想を受け、「クスイムン」(薬物、くすりもの:「薬になる食べ物」の意味)、「シンジムン」(煎じ物)と呼ばれる民間療法的な料理も多く伝えられている。
かつて王族や上級士族が居住した首里では中国料理の影響を大きく受け、洗練された宮廷料理が、また戦前までは男性の社交場でもあった辻遊廓では華やかな宴席料理が発達し、久米に定住した閩人の末裔は、中国由来の行事料理などを伝えた。
沖縄の伝統的な食文化には、地理的に近い薩摩料理と福建系の中華料理(台湾料理を含む)の影響が強いが、歴史的経緯により、食材の流通ルートや交易範囲が変化したことも大きく影響している。
黒砂糖の代価として運ばれた昆布や鰹節は北海道、薩摩などが産地である(後述)が、沖縄料理に欠かせないものとなった。
また、気候・流通的な理由により、保存性に優れた乾麺や麩、海藻といった乾物、塩漬けの豚肉などを用いた独自の料理が発達した。
さらに、石灰岩質で稲作にはあまり適さない土地柄のため、戦前は上流階級以外は甘藷を主食とし、第二次世界大戦後しばらくは米軍の配給食に依存した食生活であったことも本土とは異なる点である。
日本に組み入れられた明治以降は、本土の一般的な食文化にも影響を受け、沖縄そばなど明治以降に誕生した料理も現在では広く沖縄料理として認識されている。
1895年に台湾が日本統治下に入ると出稼ぎ労働者として沖縄県民が台湾に渡り、台湾人も沖縄に渡航して料理店を開いたり、パイナップルを栽培するなどの交流が深まり、沖縄の食文化も台湾料理の影響を受けた。
また移民が奨励され、多くの県民がブラジルやハワイ、フィリピンなどへと渡航したことで、これら地域の料理が紹介され定着している例もみられる。
第二次世界大戦後は米軍の軍政下に置かれ、アメリカから配給や輸入された保存食のポーク・ランチョンミート(スパムなど)や各種の缶詰料理も定番化した(アメリカ併合後のハワイやフィリピン、朝鮮戦争後の韓国と類似する)。
アメリカのハンバーガーチェーンの進出は本土より早く、県民はアメリカナイズされた食生活になじんでいった。
また、戦前のイモ類(サツマイモ、タイモなど)を主食にする食習慣に代わって米や小麦の粉食を主食とする食生活に変わっていき、タコライスなどの沖縄独特の米料理もよく食べられるようになっていった。
本土復帰後は本土の食品産業・外食産業の進出によって、他府県の食文化との差が少なくなる傾向にあるが、現在も県民の食生活には本土の和食とは異なる沖縄料理の伝統が健在で、米軍統治下のアメ…

Comments are closed.