【福渡駅】国道53号沿いにあるスープカレー専門店までホロホロチキンの本格スープカレーを食べにいくツーリング【岡山県・全駅グルメラリー#66】

はい、どうもモンゲーライダーです。今回 はですね、岡山県全グルメラリー第66弾 ということでね、今回訪れる駅は津山線 福渡駅です。 [音楽] はい、ということで津山線福渡駅までやっ てきました。 [音楽] [拍手] [音楽] はい、ということで岡山市帰宅竹部町に あります。津山線福渡駅までやってまいり ました。ま、この福渡駅っていうのはね、 平成の大学合併前に存在した旧竹町の中心 駅ですね。ま、福という駅の場所はね、 津山線でいう岡山と津山のちょうど中間に 位置しておりましてね、ま、前回の グルメラリーで取り上げた竹辺駅の隣駅 ですね。ま、この福渡駅の隣駅のね、竹辺 駅は旧竹町の、ま、照明がついてる駅です けども、ただ竹辺町の中心駅はこの福渡に なるんですよね。これが福渡駅の時刻表 ですけどもね、福渡はね、もう津山線の全 列車、快速を含めた全列車が停車するよう になっています。なのでこの福渡駅ね、 ホームもね、かなり広大でしてね、ま、 短式ホーム1面1戦と島式ホームの1面2 戦、計2面3戦のホームを持っている まさに竹部町の中心駅といった雰囲気です ね。で、1番乗り場にはね、この駅舎が 立っているんですけども、ここにですね、 建物資産表が貼ってありますね。これ見て みますとね、明治42年1月と書いてあり ます。ま、明治42年、成暦で言うと 1909年ということでね、今から約 115年前に作られた駅舎ということです よね。ま、ただね、見たところそんなね、 ま、明治時代に立てられたような重向きは 現在残ってませんよね。定車の中に入って みてもね、ま、どうでしょうね。ま、明治 時代というよりはこう昭和の国鉄時代の 雰囲気が色濃く残ってるような駅舎ですよ ね。ま、どうやらそれはね、ま、この駅舎 ができた後対象時代に家事にあってね、ま 、焼けてしまったり、ま、あとはもう鉄道 の需要によってね、駅が色々改築されたり とかしてね、ま、今のような形になってい るっていうことでも明治時代の駅舎の重か は一切今は残っていないというね。ま、 そう考えるとね、前回取り上げた竹兵駅は ね、明治時代の、ま、海業当時の木造駅者 が今もね、その姿をとどめていますからね 。その竹駅がいかに貴重かっていうのも 分かりますよね。とはいえね、この福渡駅 ね、形は変わってしまってるとはいえ、 地区115年の駅舎が残ってい るっていうことで、ま、その歴史を物語っ てるかのようにホームには立派な古選鏡も ありますね。じゃ、ちょっと古選鏡を渡っ て2番、3番ホームに行ってみたいと思い ますけど、ここの古選鏡だいぶ変わって ますね。こんな風にこう壁がないっていう かね。ね、普通古戦鏡と言うと、ま、安全 のためにね、壁になってるんですけど、 ここの古選鏡は柵になってますよ。まあ、 でもそのおかげでね、古選鏡からの眺めは だいぶ良きですね。うん。福渡駅の駅舎の 前傾もここからだと綺麗に見えますね。で 、駅の南東側にはね、ま、かつてここに 福渡高校っていう高校が、ま、ありまして ね、もうかつてはなんでその生徒たちでも 賑わうような駅だったはずですね。さあ、 津山方面からね、普通列車がやってまいり ました。岡山行きの普通列車ですね。うん 。客は、ま、今これ朝9時半ぐらいなん ですけども、ま、いないようですね、ほぼ 。ま、福渡駅のね、1日の利用客数が大体 平均220人ぐらいっていうことでね、ま 、この数字はね、ま、津山線の途中駅では ね、ま、崩神奈川に継ぐ第3番目の大さ ですね。 倉行してるとね、津山行きの列車も入って きました。なんで今ここで行き違いをして いるわけですね。ま、このようにこの福渡 駅っていうのは津山線の中でもね、ま、 主要駅というかね、ま、大事な駅なんです よね。そして福渡駅を出た列車は未坂津山 へ。そしてもう片方は美前岡山へ向かって 行っているわけです。 まあ、なんでね、この服渡りっていうのが 津山線の中で重要な駅として位置づけられ てるかといううと、ま、ここが先ほども 言ったように岡山と津山の中間の駅だから ですね。ま、それはね、今も昔も一緒でね 、この福渡辺の駅にこういった風な駅名表 があるんですが、行こうか岡山戻ろうか 津山。ここが試案の深渡と書かれてるん ですね。ま、これは古くからね、え、歌わ れていた言葉なんですけども、ま、要する にこの服渡という地はですね、ま、岡山、 津山の中間点であることからですね、 つまり岡山と津山を往来する旅人にとって この服渡りというのが1つ試案する場所 だったというわけですよ。ま、なぜね、 この服渡りっていのが旅人を支案させる 場所だったかというとね、ま、これは前回 、え、グルメラリーでやった竹辺駅編でね 、しっかりとやりましたけれども、この 服渡りというのが美前美かの国境の町だっ たわけです。まあね、合わせて グルメラリー竹編もご覧いただければと 思うんですが、ま、その中でね、前回の 竹辺、ま、美前側は、え、その国境に陣を 置いていたというお話をさせていただいた んですが、この未坂の国境、福渡はこの 岡山津山を結ぶ津山往来の宿町、そして 津山往来1の商業都市として発展していっ たんですね。なので同じ国境の町、竹部と 福渡辺渡では町の性質が全く違うなと思い ますね。竹辺駅の周りは商店などなかった んですが、この福渡駅の周りは商店なども いっぱい立ち並んで商店街を形成しており ます。一応今でもね、こうして行き前商店 街歩くと旅館も残ってるんですよね。ま、 これは当時のそういった宿場町の時の 名残りなんでしょうかね。ま、美前の国、 竹部は陣夜が置かれた武士の町、そして 美坂の国、福渡は商人の町ということです よ。まあ、なんで津山往来の宿町商人の町 として、ま、発展していった福渡駅前商店 街を歩いてね、福渡郵便局が見えてくると 、ここで国道53号線にぶつかるわけです が、まさにこの国道53号がかつての津山 往来だったわけですね。まあ、なんでこの 服渡という町は今も昔もね、岡山と津山を 結ぶ街道沿にある町ということで、ま、 岡山県民なら1度は通ったことがある町の 1つでしょうね。ま、今も昔も変わらずね 、岡山と津山を生きう人が往来する町。 今日の町渡ですけれどもね、この国道53 号からね、民家の間の路地を歩いていくと ね、その国境だった場所がね、目の前に 現れるんですね。それがこの朝日川です。 ま、前回もね、同じような話をしてます けども、この旭日川が美と美前の国境だっ たわけですよ。この服渡と竹部の間に 流れる朝日川なんでね、この旭日川の 向こうに見えるのはヤハ温泉橋。ここが かつては旧美前の国だったわけです。ま、 この地がね、美前と未まさかの国境であっ た時代、ま、船で渡った先は別の国だった わけですよ。なのでここから私に乗って 対岸へ渡るという方法しかなかった。それ が前回もお話ししたヤハの私ですが、竹辺 側の矢の私はあの辺りでしたね。ま、竹辺 側、つまり美前側の八幡の私跡は何かね、 道シべが立ってましたけれども、じゃあ 見坂服渡りはどうなのかと言うと、この ような胃腸の木が植えられてるんですね。 どうやら資料によるとね、樹霊250年を 超えるということですから、ま、当時ここ が国境で私があった時代にはもう生えてい たということですよ。ま、そしてその胃腸 が生えてた時代ね、その頃はね、この町と いうのは福渡という名前ではありません でした。ま、先ほど駅名表にもあったよう にね、行こうか岡山、戻ろうか津山、ここ が市安の深渡と書いてあったと思うんです が、かつてこの福渡という町は深渡村と 呼ばれてたんですね。この深渡というね、 知名からも分かるように、かつてこの国境 の私は深い淵を渡っていた。服渡りから 竹辺を渡るのにも危険が伴っていたわけ です。ま、なのでね、この場所が試案の 深渡とそう歌われていたんだろうと思い ますね。ま、それが生って服渡しと呼ば れるようになりまして、その後服を渡して はならないとの意味を込めて服渡りと呼ば れるようになったんですね。服を渡しては ならないから服渡り。この知名の成り立ち 1つ取ってみてもこの場所がかつて美前と 美さが睨み合っていた一色速発の国境地点 だったことを思わせるような気がします。 そのことは美然側も同じでありまして、 前回の竹辺駅編では神屋町があった 朝日川岸に国境の陣を敷いて美からの裕二 に備えていたと話しましたが今坂川福渡で はどうだったのか。こちらね今坂川福渡の ね、え、国境の様子。こうして歩いてみる とね、民家に階段があるんですね。この ようにね、石垣きが組まれておりましてね 。で、その民家の階段からこの川岸へ 降りれるようになってるんですよね。なぜ このような作りになっているのかというと 、これはかつて服渡が川港として発展した からなんですね。この服渡にはですね、 勝山、落合から朝日川を使って高瀬が下っ てきていたんです。その水の川港でもあっ たんですね。つまりこの福渡という町は 岡山津山を結ぶ海道の宿場でもあり勝山 から岡山を往来する高瀬の港町でもあった 水陸交通の幼少だったわけです。なので この福渡の国境地点には古くから晩所が 置かれていたんですね。番所とは通行人や 荷物船などの検査を行う場所ですが江戸 時代になると美坂の国は津山班森市に納め られていくことになり国境の服渡りには 番所が設置されることになりました。ここ で他国の荷物積み下ろし禁止、女子の他国 往来禁止など厳しい取り締まりが行われて いたと言います。ま、美前側の竹辺にはね 、竹辺新町っていう神夜町のね、ま、 名残りがね、しっかりと残ってました けれども。さあ、ではね、未さの国渡には ね、その晩所の後は残っているのかと言う と、そんな綺麗にはもう残ってないんです ね。しかしよく見ると国道53号沿いの 古い民家ですとか、あとはこの河続く階段 などがここにかつて番所があった。つまり 川の港や石書があった名残りと言えるのか もしれません。服渡りはその後幕府直轄地 となり、国境の宿場町かつ高瀬の発着場と して江戸時代を通じて津山往来の道中で 最大の商業都市として発展していくことに なるんですね。なので明治時代になり岡山 と津山を結ぶ中国鉄道が開通すると福渡辺 には当然に駅が置かれることになります。 福渡駅は1898年明治31年の中国鉄道 海峡当時からある駅なんですが、落合勝山 方面からの上行客でも大いに賑わったと いうことで駅前には人力者が並ぶように なったと言います。そうして今度は駅を 中心に町が発展していくことになり、現在 のような駅前商店街が形成されていくこと になるわけです。 福渡駅前に商店街が形成されていったこと がきっかけで隣の竹辺村にも駅の設置運動 が起こり後に竹駅が開業したというのは 前回の竹辺駅編でもお話ししました。 つまり明治時代になり配件によって美の国 と美前の国が岡山県に統合されてからも渡 と竹部はお互いを意識し合う関係だった わけです。しかし、そんな国境の町だった 福と竹部は後の1967年昭和42年に 密軍竹辺となり一緒の市町村として歩む ことになります。つまり国をまいだ合併に よって1つの自治体が誕生したわけです。 軍だった福渡と密光軍だった武町。なぜ国 が違う2が合併することとなったのか。 これは竹部長が発足する10年前昭和30 年代半ばまで遡ります。当時の岡山県知事 ミ春が全国6大都市に継ぐ大都市を作る ために岡山市と暮らしし、その他県の 市町村を合併させて大岡山市を作る構想を 提唱するんですね。これを岡山県100万 都市構想と言います。 この計画で岡山県を県南、西武、東武、 正北部、北部の5ブロックに分けたんです 。その100万都市高層の西北は隣の三町 でありまして、竹部は密軍に属している ものの津山市を中心とした北部のブロック に含まれることになるんですね。竹部は これに対して抗議をすることになります。 つまり憲北ブロックの津山ではなく南 100万都市高層の県南ブロックに入れて 欲しいというものでした。こうして竹部は 岡山県に対して100万都市高層に入れて くれと乗するわけです。竹辺としては津山 に入るより100万都市に入った方が得だ という思惑があったと思います。そして その運動の結果長は100万都市構想の 市町村に加わることができた。竹部長とし てはこれで100万都市の町として返入さ れる竹部は100万都市の一部になる予定 だったんです。ですが結局その構想はざ座 して岡山倉敷は合併することはなく武部の 目的は達成されることはありませんでした 。しかしこの運動によって竹部は岡山県難 特に岡山市との結びつきを強めることに なるんですね。そうした中で昭和40年部 と福渡の両中学校の統合計画が持ち上がる ことになります。これは当時の武部長立、 竹辺中学校と福渡立、福渡中学校を統合し て1つの中学校にまとめるというものでし た。これがきっかけとなり副渡り長は県南 との結びつきを強めていた武との合併を 希望することになります。 の思惑としては竹辺と合併することで岡山 県南との結びつきを強くできること、 そして岡山県中央部の中心地域としてより 発展できると考えたんですね。竹辺として も100万都市への返入こそ逃したものの 当時開発が進んでいた地域との結びつきを より強固にするために密町を含めた武渡と の山頂合併を推進していくことになるん ですね。しかし、服当たりは三光との合併 に南色を示し、三光は竹辺との合併に南色 を示していくことになります。そこで競技 の結果、中学校が統合する予定だった武と 福渡が合併して新しい町を作ることにした 。しかし竹辺の住民は福渡との合併に 対する反対意見が根強かったんですね。 それは福渡の方が大きな町であり、住民と しては服渡りに全てを持っていかれるよう な気がしたのかもしれません。なので合併 によって発足する新しい町の名前は竹辺。 町場は服渡りに置くということで決着を つけることになりました。そうして2つの 町は合併して新しく竹辺が誕生することに なるんですね。これによって軍だった福渡 は密軍に返入という形になり、後の平成の 大合併によって密軍武部町までを岡山市に 合併したことによって福渡は美かの国で ありながら現在は岡山市となっているの です。行こか岡山戻ろうか津山。ここが 市案の深渡と呼ばれた国境の町は現在岡山 市西北の町となり、旧竹町の玄関口だった 福渡駅も岡山市にある駅となりました。 明治時代から115年以上福渡の町を 見守り続けた福渡駅。しかしその歴史を 刻んだ駅舎もこの10月に撤去となります 。現在の駅舎は廃止となり、新たに観測化 した待合所が設置される予定となってい ます。また1つ歴史ある駅舎が静かに幕を 閉じます。 2025年9月まで服渡りの駅舎は確かに ここにあったということをこの動画で記録 して残しておこうと思います。 はい、ということで今回福駅編で行くお店 なんですが、スープカレー9というお店に 行きたいと思います。ま、このお店もね、 僕も前から気になってるお店の1つでして ね、この服渡りの国道53号沿いにあるお 店でね、ま、ちょっと行ってみましょう。 はい、ということでね、見えてまいりまし たね。スープカレー9では行ってみ ましょう。 あ 行ける感じで分かりました。ありがとうございます。お待ちください。 あ、入れてくれる。 あ [音楽] 。 00 [音楽] [音楽] はい。少し待ちください。 [音楽] [音楽] 全 [音楽] [音楽] [音楽] ありがとうございます。 [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] はい、というわけでね、スープカレー 9 さんでね、チキンスープカレー食べてきましたけれどもね、いや、美味しかったっすね。 もう今回ね、私50からということでね、 ちょっとチャレンジしてみましてね、実は ね、あのスープカレー9さんのね、ま、 連れん分けの店というかね、津山にある スープカレーさっていうお店ね。そちらで ね、以前30からのね、スープカレーを 食べたことがありましてね。で、今回はね 、50をね、学んで初めて行ってみたわけ ですけどもね、一口食べた時はね、 ちょっとね、カラさんに驚きましたね。 うん。もうあの油断してたんで咳込みそう になったぐらいの辛さだったんですけども ね。これが不思議とね、食べていけば行く ほどね、その辛さの先にある旨味が分かっ てね。うん。もうスプーンが止まらなく なりましたね。いや、本当なんでね、最初 一口み食べた時、ああ、ちょっと50から 辛すぎるかなとね、思ったんですけど、ま 、いざ食べ終わってみるとちょうどいい。 もう50からがベストかもっていう感じの 辛さでしたね。ま、なんでね、もし気に なる方はね、是非行ってみてください。と いうことで、全駅グルメラリー服渡駅編は 以上になります。私3万人記念としてね、 ステッカーを作成させていただきました。 よければね、モンゲーライダー公式 ショップ概要欄にリンクを貼っております んでね、そちらから購入していただけると 嬉しいです。というわけで今回も最後まで ご視聴ありがとうございました。 [音楽]

【岡山県・全駅グルメラリー#66 津山線 福渡駅】

今回は津山線 福渡駅です。

今回いったお店
・スープカレー q
岡山市北区建部町福渡996

「もんげーライダーHIROYA」公式グッズショップ
https://suzuri.jp/mongee-rider

お仕事の依頼、問い合わせは下記メールへお願いします。
もんげーライダー事務局
mongee.rider@gmail.com

サブチャンネル「もんげーライダー飲みチャンネル」もよろしくお願いします!
https://www.youtube.com/channel/UCu66jDwFpVH9iyZSBHB4M3w

☆★岡山・全市町村グルメラリーで紹介したお店や動画撮影時の写真などはインスタにアップしてます!フォローお願いします!★☆
https://www.instagram.com/mongee_rider/

#福渡
#スープカレー
#福渡駅

当チャンネルについて
———————————————————————————–
大都会のような街の華やかさはなく、かといって壮大な大自然が広がるわけでもないとてつもなく中途半端な県、岡山。

このいまいち存在感のない岡山の地で生まれ育ったもんげーライダー HIROYAが愛車のNC750Xに跨りモトブログ形式で主に岡山の定番ツーリングスポット、名所からディープスポットまで紹介するチャンネル。

もんげーとは、岡山の方言で「ものすごい」という意味。
このチャンネルを通じて岡山のことを少しでももんげーと思ってもらえれば幸いです。

その他、山陰、四国、関西によく走りにいきます。

2016年に50ccリトルカブで約1年間日本一周の旅をしていました。
日本一周の日々を記録したブログは下記リンクに貼っていますので宜しければご覧くださいませ。
http://blog.livedoor.jp/osakaokayama-osaka_okayama_kaeru/

【BIKE】 NC750X(HONDA)  KDX125SR(KAWASAKI)

【CAMERA】 HDR‐AS300(SONY) iPhone12pro max

37件のコメント

  1. qは岡山で唯一、日テレのオモウマい店に出ていますね
    1000辛頼む人もいるそうです😱
    ちなみに江崎にあるラマスパイスは息子さんが経営しているそうです

  2. 初心者のときは、とにかくちゃっちゃか食べちゃうんですよね、辛いから早く押し込もうと思って
    200から300がお勧めです

  3. モンゲーさんスープカレーqさん行きましたかー中々の辛さでしたでしょう食べてたらだんだん慣れて旨みが出て来るけどやっぱ辛い🥵ところで岡山市内にもqさんの身内がしてるスープカレーの店があるんですよ、中区のスープカレー、ラマ🦙て言う所です、もうご存じかもしれませんがまた行ってみては如何でしょうか?

  4. 福渡・建部・御津町の関係について理解できました

    また、福渡駅舎の改築は寂しさはあり、初めて知った事実に驚きでした

  5. 旭川を挟んで、前回の建部駅編と合わせて、優しい声で語られる深い歴史が深々沁みる😊 カレーも美味しそうに食べて、良いなぁ🎉

  6. 福渡町時代の話ですが、当時の建部町の消防団に入ってた祖父が言うには国道53号線で福渡を過ぎて美咲町方面に向かうY字路付近で昭和34年頃にバスの転落事故があったそうです。
    その事故の石碑が国道沿いにありますが、誰も慰霊に来なくなったせいか雑草が生えてしまってて何とも言えない気分になります…

    あと、スープカレーqさんの常連です。
    私は800以上(現在はずっと750)は無理でした…
    辛さを上げていくと辛さに加えて苦みが出てきますが、慣れると癖になりますよ。
    あと、店長さんのランクルは4代目フォレスターや同世代のXVのデザートカーキを参考に塗装されたそうです。
    4代目フォレスター(デザートカーキ)に乗ってる知り合いが初来店時にオーダーを受けた後に店長さんより色の参考にさせて欲しいと申し出があって協力したそうです。

  7. 以前仕事で津山線のディーゼル電車に乗って福渡に通っていました、懐かしい駅です。今回も楽しく拝見させて頂き有り難うございます❤

  8. お疲れ様でした。
    15年前くらいには福渡駅にも駅員さんがいて、活気があったのを覚えています。
    跨線橋もリニューアルされ無くなるみたいなので今度行ってみたいと思います。

  9. いつもながら勉強になります。q、一度行きました。遅かったのでチキンはありませんでしたが店主と色々話をしながら食べました。また行きたいです。

  10. 数年前にマツコの知らない世界という番組のスープカレー回を見ていたら、こちらのお店の名前がチラッと出ていて驚いた記憶があります
    スパイスは元気になる感じがしていいですよね~

    福渡というとイタリアの方が作る本格的なピザ屋さんもあって、結構グルメの選択肢豊富ですね

  11. このお店の系列店(親族経営)が岡山市中区にあります。店名は"ラマスパイス"。

  12. 広島県東部(備後)の者ですが昨日(9/13)北区辰巳のうどん村さんに行ってきました。美味しかったです。
    帰り道は鷲羽山スカイラインとかに寄り道して水玉ブリッジラインを通って帰ったのですが、その道中の15時過ぎくらいに県道398号(水島港唐船線)の国道2号の交差点(唐船交差点)の右折レーンで黄色のハンターカブを見掛けたのですがひょっとしてもんげーライダーさんだったでしょうか。

  13. 昔は福渡駅の跨線橋には壁があったんですよ、劣化で落下の恐れがあるので取り外されたのだと思います。

  14. もんげーさんが食べてたスープカレーめっちゃ美味しそうでした✌️
    辛さレベル1で食べてみたいです‪𐤔𐤔‬

  15. 福渡駅の駅舎も含めてHIROYAさんの取材が岡山の歴史アーカイブになっていくんですね。
    道中に写ってた「日本一たい焼き」の看板が気になりました。

  16. ここ美味そうですね。今度行ってみます。今回も勉強になりました。ありがとうございました。

  17. ここのスープカレー、職場で話題に登ったことがあったので気になってました。本当においしそうでした。

  18. 福渡がかつて美作国で県北圏に属していたのは知りませんでした。
    また1つ勉強になりました。

  19. 繰り返して何回もみたい動画です。今回も勉強になりました。後半は、さすが岡山No.1のフードファイターですね😊辛いのもろともしない。すごい。

  20. 旧建部町がなぜ旧国境を跨いでいるのか?長年の謎でした。過去イチ勉強になりました。

    県南百万都市構想の失敗は、他にも後世へ影響を残しているんでしょうね。黒歴史なので近年まで語られることが少なかった印象ですが…