【江戸時代】鰻屋はデートスポットだった!?江戸四大料理の一角「うなぎ」の歴史【ゆっくり解説】

    どうした体が溶けているぞ今日は歩きすぎ ても動けないねぇ魔理沙アイス買ってきて 江戸時代に売ってるわけないだろ現代に 帰るためまだあるかないといけないのに 仕方ないやつだななんか元気が出るような ものでも食べるか 元気になって美味しいものいいわね何か 近くにあるかしらそうだなおあの人が今 売っているのはどうだあらすっごくいい 匂いうなぎねいいじゃないうなぎは ビタミンB1やタウリンなんかが豊富で 夏バテや疲労回復にぴったりだでもお高い んでしょ店売りは高いがあのように路上で 売ったり天秤で担いで売ってるうなぎは そうでもないぞそうなのねうなぎがこの 時代から食べられていたとは知らなかった わうなぎはそば天ぷら 寿司と並んで 江戸4大料理と言われたほど人気だったん だ 歴史のある食べ物だったのねじゃあ休憩を 兼ねて蒲焼きウリさんと一緒にうなぎの 歴史を解説していこう後で食べさせて頂戴 ねということで ゆっくりしていっておくんなまし ウナギの歴史 霊夢は江戸でうなぎが食べられていたこと を知らなかったようだがいつ頃から食べ られているか当ててみてうーんお米が 伝わった弥生時代からかしらそれより もっと前 約5000年前の縄文時代まで さかのぼれるぜええそんな昔から食べられ ていたのあー縄文時代に作られたとされる 貝塚からうなぎの骨が発掘されているんだ うなぎの骨は自然に死んで残った骨では なく食べた形跡のある骨でありすでに縄文 時代からウナギが食べられていたと考え られているぜそんな昔からうなぎとに本陣 は一緒だったのねまた 奈良時代末期に成立した日本最古の和歌集 である万葉集にもうなぎが出ているんだ 大伴家持が吉田の村治を湯の夏痩せを笑っ てうなぎを進めている内容だもうその頃に はうなぎが滋養強壮の食材とされていたの ねあーこの若手はうなぎをうなぎと書いて あるんだ 胸毛だこれはうなぎの胸が黄色いことや形 がムナギに似ていることなどに由来して いるぜうなぎと呼ばれるようになったのは 12世紀ごろからと言われているぞうなぎ のままだったら胸毛を想像して食べていた わうなぎと呼ばれるようになって良かった わよまた平安時代ではうなぎを城主にして 塩味で食べることが好まれていたんだ 室町時代の料理初包丁危機が気には発酵し て作る慣れ寿司としてうなぎを食べていた と書かれているぜ今のように 甘いタレで食べる蒲焼ではなかったという ことね 蒲焼の始まりは諸説あるが 室町時代の文献で初めて登場するんだそれ が1399年に記された 鈴鹿牡蠣だその本によるとうなぎを筒切り にして串に刺し ステータ姿がガマの骨に似ていたので 蒲焼と呼ぶようになったと書かれているぞ その頃はウナギを開かずに ぶつ切りにして焼いていたっていうこと そういうことだ他にもうなぎを焼いた時は 香ばしく力強いいい香りがするだろうそれ を芳しいと言うんだがそれが変化して 蒲焼になったとも言われているぜでもその 頃はまだクシに刺しただけで味付けは塩や 味噌カラシスなどだったんだ 酢みそねぇ食べたことないけど結構美味し そう 醤油などが使われるようになったのは 室町時代後期だ 宇治丸と呼ばれるぶつ切りしたウナギに 醤油や酒山椒味噌などで味付けした蒲焼 料理が現れたんだぜそこで山椒も使われる ようになったのね 宇治丸の名前の由来は 宇治川のうなぎが美味しかったことからと 言われているぞ現在のように短冊にして 食べられるようになったのは安土桃山時代 と言われている 江戸中期の百科事典和漢3サイズに 咲いて内臓を除き 串に刺して横にシゴダンにしたという記述 があるんだそうなのね一度ぶつ切りにした ウナギも食べてみたいわそして江戸時代で 外食が盛んになるにつれうなぎも流行るの だがその前になぜ江戸で外食が流行ったか 経緯を説明しよう うなぎの普及 江戸時代の1657年 振袖火事という大火災が起きたんだこの大 火災は 江戸市中の3分の2を焼き尽くしたかなり 大きな火災だったのねじゃあ復旧も大変 だったんじゃないあその復旧のために全国 から大工左官飛びなどの職人や土方が 集まってくれたんだその人々の胃袋を 満たすために簡単な食べ物屋さんができ 始めたこれが江戸での外食の始まりとも 言われているぜこんなんがあったけどその おかげで新たな産業が発展したのねまた その頃の庶民が住むような長屋では本格的 な台所はなく家で調理がしづらかったんだ そのため天秤棒を担いで行商するボテフリ やフリウリ屋台も発達していったぞ ボテフリなどは 木炭が普及するとその場で調理し 焼き魚やそばおでんなども販売するように なるぜその場で調理してくれるなんて とっても美味しそうだわ出来立てほやほや の焼き魚食べてみたいわねこのような外食 屋さんがさらに普及するきっかけがある 茶屋がナラチャメシという茶飯や豆腐汁 煮しめ 煮豆などをセットにして売ったことだその 後 けんどんそば切りという蕎麦屋さんが出て きて 江戸の外食文化が花開くぜでもどうして 江戸でウナギが流行ったのかしら 江戸の大規模開発で干拓ができたそこで 湿地にうなぎが多数生息するようになり うなぎが大量に取れるようになったんだ また 蒲焼に使う調味料にも理由がある 蒲焼に使う調味料としたら 醤油やみりんよねああその醤油は 室町時代でも使われていたんだが 希少かつ効果なものだったんだそれが江戸 時代になると安定的かつ大量に作れるよう になったんだぜまたみりんもそれまで酒の 一種であったが製法や成分味がきちんと 定まり 完成したんだみりんという調味料が確立し たということだな調味料が安く簡単に手に 入れられるようになったらタレも作り やすくなって 蒲焼も手軽に調理できるわねまた 霊夢は江戸前という言葉は聞いたことない か 探偵の名字でよく聞くわねそれは江戸前 じゃなく江戸川の子なんだ 江戸前寿司なら聞いたことがあるけど東京 って意味かしら 江戸前は今では東京流の料理や東京で取れ た魚のことを言うが最初はうなぎのことを 指していたんだ当時のうなぎの名産地は 深川で深川は隅田川の向こう側 川の向こう側は江戸の前となり深川さんの うなぎを江戸前と呼び最上級とされたんだ 最上級ってことは他うなぎはどうなるの その江戸前以外のうなぎは旅ウナギと呼ん で 格下に扱われたぜ他と差別化するブランド 戦略が進んだんだ 旅ウナギと聞くと悪くなさそうなイメージ だけどね 1805年に出版された職人づくしへ言葉 にはうなぎ屋の店頭に立つ女性が書かれて いるそこで女性はうちの店では旅ウナギは 使ってないよ全て江戸前だよと自慢げに声 を張り上げているんだ 商売上手ね最上級って言われたら食べたく なっちゃうわ当時うなぎの販売形態は 大きく分けて3つに分かれていたぜまず一 つ目が高級なうなぎ屋だ立派な店構えをし ており名店と呼ばれる料亭風だ 敷居が高くてなかなか入れそうにないわね 2つ目は庶民的なうなぎ屋だウナギ以外の 魚も取り扱うお手頃なお店だな今で 牛丼チェーン店や 定食屋さんみたいなものかしら3つ目は こちらの主人と同じく店を持たない うなぎ屋だ天秤棒で売り歩く蒲焼売や 路上でさばいて売る商売をしているぜ今で 言うB級グルメのような感じねそれぞれの 値段を見てみよう高級なうなぎ屋で食べ られていたうなぎの値段は 200万30円で計算すると6000円だ さすがにお高いわね当時の外食屋の中でも 高めの部類に入るんじゃないかしらただ 当時は長さ9cmのうなぎを56切れ並べ その上に飯を敷いてさらに小さいうなぎを 67キレならべるんだ代償合わせて10 切れくらいのうなぎの切り身を2段重ねし たかなりボリュームのあるものだぜうなぎ をこれでもかっていうくらい贅沢に使って いるのねとっても美味しそうだわそして ボテフリのような店を構えず 路上で販売しているところでは16 問ほど480円で販売されていたんだ とっても安いじゃない一度うなぎを たらふく食べてみたいと考えていたのよね それから 森サダマン公という江戸時代後期に出版さ れた本では高級料理屋のちょっと変わった 様子が描かれているぞどんな様子かしら 高級料理店はいわばこだわりが強い店で どんなお金持ちの方でも一見さんであれば お断りの店もあったみたいだまた 気に入ったウナギが入荷しなければ気に 入るうなぎが入荷するまでずっと休業して いたらしい 頑固な店主 昔からそういうお店はあったのね ちなみにうな丼の起源も 江戸時代からだと言われているぜおー来た わね私の大好きなうな丼 昔の日本にはご飯におかずを乗せて食べる という発想がなかったんだ ドンというスタイルが誕生したのは江戸 時代で最初の丼物として誕生したのが うな丼なんだぜ 江戸時代って今から約200年前でしょ 意外とドンの歴史って浅いのねうなぎ屋は 当初 居酒屋のようなお酒を飲むところで 酒を飲まない人にとっては入りづらく うなぎを食べられなかったんだそこで 蒲焼に酒ではなくご飯を漬けるつけめしを 始め 酒を飲まない人や女性などより幅広い客層 の獲得を目指したんだ 昔はウナギにご飯が主流じゃなかったのね 今では考えられないわでもつけ飯って言っ てもまだご飯とうなぎは別々よねうな丼の きっかけを作ったのは大久保いますけどと いう人だ彼は大脳うなぎ好きで 焼いたウナギが冷めないようにとどのご飯 の間に挟んだ状態で宅配してくれと言った んだこの様子を近所の人が目をつけ うなぎをご飯に挟んだものを鰻飯と名付け て売り出したぞこれがうな丼の誕生という ことだうなぎ好きがうなぎを美味しく 食べるために考えてくれたのね大久保さん には感謝しなきゃあのタレが染み込んだ ご飯もおいしいのよあのタレだけでもご飯 一合食べられるわ 霊夢よだれが出てるぞたまに食べられる からこその特別感もあってうなぎ食べると 幸せになれるわよねそういえば今年の土用 の丑の日はいつだっけその土用の丑の日は 江戸時代で生まれたと言われているぜえ そうなのあではここで江戸のうなぎに 関する豆知識を4つ解説しよう うなぎの豆知識4000 まず一つ目は先ほどの土曜の丑の日につい てだこれは江戸時代の科学者平賀源内が 発案したという説が有力だぜ エレキテルを作った人よねうなぎに何か 関係あったの電気ウナギの電気と関係ある のかしら面白いが違うなうなぎは冬が一番 脂が乗って美味しいんだが 夏になるとどうしても痩せて美味しくない んだだからうなぎ屋はうなぎが売れないと 困っていたそうだったのね今の受容機と 異なるじゃないそんな時に平賀源内が夏に もウナギを売れるよううなぎは滋養強壮に いいので夏にぴったりという看板を うなぎ店の店頭に出したんだそれがお客様 のハートを掴み 爆発的に売れたんだぜさすが発明家ね キャッチコピーすら考えるなんてうなぎの 豆知識2つ目は関東と関西のうなぎの違い だ 確かに関東と関西でうなぎの焼き方とかが 違うって聞いたことがあるわこの違いも 江戸時代から生まれたんだまずうなぎの 開き方から解説しよう関東では背中から 開き関西では腹から開くんだ開き方でも 違うのねそれはどうしてかしら例えば 武士がヘマをして将軍を傷つけてしまった とするもうこの世で生きていけないくらい 失敗した時 武士はどうするえっと小指を切り落として けじめをつけるそれは本職の人だろ 武士は名誉挽回のために 切腹をすることもあったうなぎを腹から 切るのはその切腹を連想させ 縁起が悪かったんだぜだから背中から切っ たのね 反対に関西は商売繁盛の神エビス様を得別 さんと呼びしたシムほど 商売文化が盛んだその関西にとって 腹からを見るのは腹を割って話そうという 意味合いを込めてるんだぜ本音で話し合っ て商売しましょうやってことね関西らしい わまた 蒲焼の作り方も違いがあるぞ関東では息子 邸がありふわっとした仕上がり関西では 蒸さずにパリッとした仕上がりだどちらも 想像しただけで美味しそうだわ 江戸のうなぎの油が多すぎてそのままでは しつこかったんだぜだから一度息子とで油 を落とす必要があったんだ 反対に関西のうなぎはそこまで油が多く なかったため 蒸さずに焼いたと考えられている確かに 裏切って油たっぷりよねまた 江戸では単身赴任者が多く 提供スピードが求められていたんだ 焼き上げる前に 蒸して下ごしらえを澄まし 注文が入ってすぐ焼ける状態にしたという 説もあるぜうなぎ屋さんはいろいろ工夫し ているのねぇだがこれは庶民的なお店での 話だ高級店では提供スピードは求められて ないため 提供までの時間は長かったらしいそこで うなぎに関する 豆知識の3つ目うなぎ屋は絶好のデート スポットにつながるぞデートに高い うなぎ屋さんに連れてってもらえたら 嬉しいけど他にもいろんな料理屋はある じゃないどうしてうなぎ屋なのかしら当時 高級うなぎ屋は離れを持つお店もありその 離れの座敷で食べることもできたんだ高級 店ではうなぎは注文を聞いてから開くため 焼き上がるまでに40分以上かかるよ40 分それはかなり長いわねそして 座敷には布団が敷かれており料理が 出来上がるまで誰も来ないのでどうぞお 好き にっていうことだあらやらしい 恋人同士の合挽きの場ということなのね うなぎ屋に連れて行かれ愛を確かめ合い そして最後においうなぎを食べるうーん いいデートプランじゃないのやるわねえぞ 時代の人たちったらただデートスポットと いうよりかはラブホテルって感じねそれは 言わないでやってくれウナギの豆知識の 最後は割り箸はうなぎ料理から生み出され たことだええどうしてうなぎ屋でうなぎは 油が多くおまけに蒲焼のタレもついており 箸にべたっとくっついて簡単に洗い落とせ ないんだそこで使い捨てができる割り箸の 方が 清潔だということで生み出されたんだぜ 江戸のうなぎ屋が考案したんだうなぎ屋 さんあなたって本当に 素晴らしいわコンビニでお世話になって おりますただ高級店では割り箸は使わ なかったんだ高級店では食器にもこだわっ ていたからな 竹で作る安価な橋を出すのが許せなかった んだろう今でも高級店で割り箸なんて出さ ないものそういう線引きは昔からあったの ね さて 江戸のうなぎについて解説してきたがどう だったかな 江戸のうなぎ屋さんのおかげで今の おいしいうなぎ料理が存在するのねさらに 特別な料理に思えてより好きになりそうだ わうなぎは縄文時代である5000年も前 から日本人に食べられてきたソウルフード と言えるなということでそろそろうなぎを いただきましょそうだな 蒲焼売さんに付託したのもうかあらそう いえばご飯はないのかしらご飯にタレが 染み込んだうな丼が食べたいわうなぎ飯は 店に行かないとないぞ近くには見当たら ないから少し 探さないといけないなええこれから歩く 必要あるのに店探すためにも歩くのは勘弁 よわがまま言うなじゃあもう何も食べずに 行くぞそそんなあーそれでは今回の解説は ここまでおさらばへ最後までご視聴 いただきありがとうございましたこの チャンネルでは 歴史上の職人や職業をテーマにした動画を 投稿していますもしよかったら高評価と チャンネル登録してね

    江戸時代の四大料理の一つ「うなぎ」の歴史について解説しました。
    鰻屋の業態の種類、蒲焼きやタレ、うな丼の起源、当時の値段などを紹介しています。
    また、鰻の豆知識として、土用の丑の日が始まった理由、関東と関西の違い、鰻屋は絶好のデートスポットだった理由、割り箸は鰻料理から誕生した背景などの情報もチェックすることができます。
    ぜひハローワーク江戸前までお越しください。

    00:00 はじめに
    01:19 鰻の歴史
    04:52 鰻の普及
    12:41 鰻の豆知識4選
    17:47 終わりに

    #江戸時代
    #日本史
    #歴史解説

    13件のコメント

    1. 小学生の頃、小学校の先生が鰻をとったことを自慢げに話すのを聞いたり、俳優の平泉成が子供の頃、時々父親が山奥の川で鰻をとって来て食べさせてくれた、とか聞いたけれど、よく考えたら誰が鰻を捌いたんだろ?(笑)

      あれ?子供の頃思い出してみると、お魚屋さんで「生きた鰻」「生きたドジョウ」「生きたナマコ」売ってるの見た記憶があるぞ(笑)

      以前の日本人は、鰻屋さんでなくとも鰻を捌けた人でもいたのだろうか?

    2. 関西では昔はご飯の間に鰻を埋めたのが普通で、間蒸しと呼んでいたみたいだな。オラは九州に住んでるが、子供の頃は鰻屋に『まむし』と書いてる提灯や看板を見たことがある。
      ただ間蒸しではなく普通に鰻丼だった。

    3. 落語に 『子別れ』 という話がある。旦那の女遊び酷いので離婚した夫婦が、子供のおかげでよりを戻すという話。その再会の場所が鰻屋。この動画を見てラブホという意味があることを知り、落語の解釈に深みが出てきた。

    4. 江戸時代の性事情は、面白いですよね。夏祭りの乱交は、結構近代まであったとか言われてますしね。女性はHしにいくのが当たり前の祭りも多かった。

    5. 関ジャニ∞・丸山隆平と既婚者の平愛梨も鰻屋でチョメチョメチョメリンコしてましたね。

    6. 「高級料理店はどんなお金持ちの方でも一見さんであればお断りの店もあった」
      じゃあ、最初の客はどうやって入ったんでしょうね? ずっと昔からの疑問です。
      せめて、「最初は一見さんお断りではなかったが、店主の気位が高くなるにつれて
      一見さんお断りの形式に変わった」とでも言うのなら話は分かるのですけれど……。

    7. ちなみに平賀源内は、鰻はオランダ語で「サイテヤーク」と呼ぶのだと吹聴していたそうです。
      その理由は、鰻は「裂いて焼く」からだそうです。なかなか面白いダジャレですね。